船との付き合い
現代において船と言えば、小はボート大は都市船まで様々な種類がある。
それぞれにおいて癖はあるし、どれか一つが使えるからといって全てを使いこなせるわけではないが
人間、長年付き合ってくれば
猫の鳴き声一つで「食事が欲しい」と言ってるのか「かまえ」と言われたのかわかるように
だんだんと雰囲気が掴めてくる。
紅葉国は海の国である。
生活の場は海上から深海まで海とつけば、とりあえずどこでも含むことができる。
時々、宇宙だってもそう大差ないんじゃないかと思い込んでいる者も中にはいて
都市船飛ばしたり宇宙進出しようという気運も国内にはある。
この手合いはたいてい宇宙と書いて「うみ」と読む。
といっても、別段海の中で生身でいられるという事にはならない。
彼らは単にそのパートナーであるところの船との付き合いが深く、慣れているだけだ。
船は人よりもはるかに寡黙で、実のところ融通もきかない。
昔であれば食糧の取り扱いは常に気をつけなくてはならないし
潜水艦などなら酸素から電力まで、生活に必要な資源は常に有限である事を意識せざるを得ない。
閉鎖空間は慣れない者にとってはひどいストレスを与える。
慣れた者も恐怖が抜けるわけではない。
というか、船と共にいる時に恐怖を覚えない者は、一人前の船の民とは言えない。
彼らは自分たちのパートナーがどれだけ繊細か知っている。
寡黙であるが故にわかりづらい所もあるが、だからこそ日頃から注意を怠らない。
ただ生活するだけでも気をつけなければならないところがやたら多いので
身内で協力することはなかば呼吸のようなものだった。